選びなおすこと

例えばどんな人でも、生まれてくる時に自分の意志で

女性とか男性とか肉体を選んで生まれてきたわけではないと思います。

ひと昔前には、誰と結婚するかを選ぶのは実質

本人というより家とか親だったとか

上の世代の話を聞いているとそういうことも当たり前のようにあったようです。

 

どこの学校に行くか?

そもそも学校に行くか?行かないか?

何の仕事をするか?

そもそもで労働をすることでお金を得て生活していくか?

労働以外でお金を得て生活していくか?合わせ技でいくか?

お金を得るための時間は抑えて、自給自足を主体としていくか?

誰と結婚するか?

そもそもで結婚をするか?しないか?

子どもを産むか?

自然に任せるか?産まないか?

男性として生きるか?女性として生きるか?性別は「とくになし」として生きるか?

恋愛をするか?しないか?

何に時間とお金をかけるか?何を重視して生きるか?

普段、どういうことを考えて生活するか?

 

本来、どっちだってなんだっていいように思います。そこに優劣はないはずです。そして、人がどれを選ぼうと(法にふれたり人に危害を加えない範囲で)自由、なはずです。

 

なぜ学校に行くのか?

なぜ働くのか?

なぜ結婚するのか?

なぜ子どもを産むのか?

なぜそのこと(今時間やお金をかけていること、頭のなかで占める割合の大きいこと、重きをおいていること)を重視しているのか?

 

「だって好きだから。理屈ではない。」「達成感を味わいたい」「一貫性を求めるから」「そっちのほうが楽しそうだから」「私の人生に必要だから」「私の人生の目的だから」「みんな(私の周りは)そうしているし」「周りと同じでないと不安だから」「安定・安心が得られると考えるから」「周りと同じはいやだから」「自分を鍛えたい」「特定の人や周囲に対して反抗したいから」「そうやって教えられたから」「執着しているから」「地位・名誉が欲しい」「お金が欲しい」「直感」「それに執着は無い。興味が無いので流れにまかせたいから」「自分の将来のため」「周りを納得させるため」「寂しいから」「考えたこともなかった」「なんとなく」「そういうことは考えたくない。考えないことを選びたい」「今、選ぶことが限りなく困難または選べる状況ではない」

 

なんだっていいと思います。

ただ、本当に本当にそれでいい?と、自分にきいてあげること。

ただひとり、自分の声を聴くこと。

意識的になること。言葉にすること。

そもそもで「選択肢」が存在することに気付くこと。

 

早いも遅いもないと思います。

気付いたら、無意識に選択し終わっていたとか

選ぼうとしたけれど選べない時代・風潮だったとか

勝手に誰かに決められていたことに気付いて怒りが止まらないとか

急に選べと言われてもついていけない、受け入れるのに時間がかかるとか

そういうことが沢山あると思います。

 

それぞれのタイミング、それぞれの速度で

ふと選択肢があると気付いた時

立ち止まってゆっくり

選びなおすこと。

じゃあ、今の自分はどう選ぶ?

よく自分自身の声に耳を傾けること。

「他の誰でもない、自分が選んだのだ」という実感・手応えを増やしながら生きていくこと。

そうやって選びなおした結果、現状と特に変わらず

端から見たら何ら変わりなかったとしても

それは、すごく意味のあることのように思います。